山に対する敬意

長年の風雨に耐えている岩。
長年の風雨に耐えている岩。

六甲山は花崗岩で出来ている。露岩した花崗岩は風雨にさらされるのでだんだん浸食されていく。

僕が登り始めてからも震災という大きなダメージで荒地山などは大きく変わったけど、最近の変わりやすい激しい気候のせいか、岩が崩れ落ちたり道がとぎれたりと荒れたりする。

小さくとも人が原因の一つとして万物相のルートの荒れがあると思う。

具体的には冬季によく行われるアイゼントレーニング。

昨年の終わりには楽に通れてたところが今年は少し通過が難しくなった。(といっても通れるんですが・・・)

先日登山関係の大手出版社から発行されたスピードハイキングの入門書をアマゾンで買った。内容の紹介を見て面白そうだったのと六甲のルートも紹介されていたからだ。

崩れたルート
崩れたルート

内容に関しては入門書として的確にポイントがまとめられてあり、僕もこのスタイルのハイキングを楽しいんでいるのでこのような書籍で少しでも「軽量化と体の強化により、より自由度のあるハイキングを行えること」に目を向けられるハイカーが増えるのはうれしい。

しかし一点だけ、六甲のルートを紹介している写真で非常に残念に思う写真があった。

それは前述のロックガーデン万物相で、大きく亀裂が入った岩の上でポーズを取っている人がいる集合写真である。

万物相。奇岩の背中。
万物相。奇岩の背中。

ほんの数年前、この場所でとても大きく奇妙な、しかしそこに来る甲斐があると思わせる岩がおそらく長年の風雨の影響で崩れた。

ピラーロックという鎖で巻かれた表示板がある岩だった。

この岩がなくなって寂しい思いをしたハイカーは僕だけではないはずだ。

しかし自然の経年変化はしかたない。

写真のポーズを取っている人はそのことは知らず、遊園地のアトラクションで写真を撮るみたいにポーズを取ったと思う。(そのことについては気持ちは分からないではない。)

でも長い間このルートを通ってる僕がその写真を見て感じた気持ちは良いものではない。

自然や山や岩に対しての敬意を感じないからだ。

僕の山の先生、ガイドのGさんは岩と会話しに岩を登ってるという。

(僕も毎回、岩や道や木や動物、空や雲や風や水や自分の体と対話して登ってると思っている。)

一方大きなもの(自然)を征服したいと思い山に相対する人もいるだろう。

いろいろな人がいろんな考えで自然の中にいるので特に写真の人にどうのこうの言おうとは思わない。

気になるのは山の環境保全や安全、山や自然に対する真摯な態度を伝えるべき山岳関係の出版社が安易にこの写真を本に掲載したことだ。

ヒキガエルのゆりかご
ヒキガエルのゆりかご

崩れやすい花崗岩の、しかも亀裂が入った岩に立つ人物の写真を載せ、それを万が一真似るものが出てきだし、結果的に岩に大きなダメージが出る場合があるというとき、編集者はマスメディアとして、責任を負うという自覚があるのだろうか。

また六甲山に関して、プロが最低限持っていなければならない知識はあったのか。

非常に残念に思ったので出版社にはクレームではないけどその旨を郵便で出した。

空に向かう大木
空に向かう大木

地獄谷、キャッスル、八幡谷で今日も何人かのいつも出会う六甲を愛する人にお会いできた。

横池では今年もヒキガエルの卵のうが、風が起こす波に揺らいでいた。

5月には多くのオタマジャクシが見れることだろう。